思索の日々、音との生活。

大学図書館パートタイマー(2年目)の広くて浅い思索の日々、音との生活。

高虎くん。

ちょっと前だけど、藤堂高虎入府400年記念キャラクター決まりましたね。
そもそもそんな企画知ってる人のが少ないか(笑)。

2008/3/17現在、↓の記事でそのキャラクターがみれます。
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20080301/CK2008030102091601.html

もち、ですね。
藤堂高虎がもちをつまみぐいした逸話にもとづくそうで。
・・・逸話?。

で、実は私も応募しまして。
見事落選したので、供養のためにここで公開。

takatora.png
「高虎くん」

やっぱり、だめか。

受験を終えて。

先日、受験を終えてきました。
1日目〜3日目の試験で、一度結果が出るのですが、まあ、案の定、不合格でした。

明らかに不勉強だったので、落ちるのは当然なんですが、音大の受験の場というのはなかなか興味深かったです。

まず受験生が13人しかいないし、現役少ない(たぶん2〜3人)し、試験が3日(+一次通ったらもう一日)もあるし、作曲課題(6時間)は昼食とりつつ休憩(お茶お菓子つき)も取れるし、試験場にその学科の先生全員いるし、解説というか面接あるし、普通の大学入試とはかなり雰囲気が違う。

それにしても、作曲課題で、隣から聞こえてくる音には本当に驚いた。まるで、既存の曲を弾くようにどんどんピアノ弾きながら作っていくのだもの。なんつーか、世界が違うわ。

受験生のレベルであれなんだから、才能がうずもれてしまっている人は本当にたくさんいるんだろうなあ、と思った。

あ、ちなみに私は作曲は趣味で続けます。たぶん、本業じゃないほうがやる気出るし。なんかすごい気楽になりましたよ。

さて、就職活動はじめるか。

悪意とWeb2.0。

ここ数ヶ月、このブログのコメントにスパムがよく入る。
記事に関連性のある広告なら目くじらたてるほどの事ではないと思うが、全く関連性のない(しかも品のない)広告となると、怒るのを通り越してあきれてしまう。

いわゆるWeb2.0の世界は、不特定多数の善意によって成り立つ。ブログなら書き手の許可なくコメントやトラックバックを入れれるし、Wikiでも記事の追加・編集・削除までできる。

こうしたシステムは悪用しようと思えば、いくらでも悪用できる。広告書き込みはいくらでもできるし、誹謗中傷、ねつ造も簡単だ。

Web2.0以前の常識では、こうしたシステムがうまくいくとは思えなかった。私にとって初めてのWeb2.0的サービスのWikipediaを見た時には、かなり驚いたものだ。

現在そうしたサービスでは、少数の悪意に対し、多数の善意によって一定のクオリティを保っているわけだが、このバランスはサービスによって異なるし、刻々と変化する。一度、悪意が優位となれば、サービスが崩壊することもありうる。

ネット上のサービスに限らず、善意で成立する社会において、悪意の存在はあらゆる点で自由を制限する。たとえば、建物のセキュリティを強化することで、善意の人間に不要な面倒をかけさせ、行動を制限し、コストの一部を負担させてしまう。世界中の国の軍事費が不要になれば、どれだけ豊かになるか考えてみてもいい。

まあ、現実的には善意の者が受ける制限と、悪意の者から受ける被害とのバランスをとってシステムを構築するしかないのだろうが、顔も見えない不躾な人たちのせいでこんな苦労をせねばならないというのは、どうも釈然としないところがある。

スパム業者はこんなことどうでもいいんだろうが、全くどうにかならんものか。