思索の日々、音との生活。

大学図書館パートタイマー(2年目)の広くて浅い思索の日々、音との生活。

ものを知るコト、伝えるコト。

HPで執筆して、2年ほど更新していなかった楽典を再び書き始めた。
でも、どうにもうまくいかない。

昔に比べ、文量は多く、文体はカタく、とにかく読みにくくなってしまう。大学生活で論文に慣れてしまったり、いまとなってはかつてのテンションが恥ずかしいというのもあろうが、一番の理由は、音楽の事を以前よりは深く知ったためだと思う。

物事を深く知ってしまうと、人に伝える時には、できるだけ正確に、本質を伝えようとしてしまう。そうすると、文量は当然多くなるし、曖昧さや誤謬を避けるためにカタい文体になる。物事の本質はとかく抽象的で、言葉にしにくいものだからなおさらだ。結果的に、自分がかつてわかりにくいと感じた、教科書的な文になってしまう。

昔の文は、今見ると間違いや、曖昧な点も多いが、全体としては読みやすく、それなりの評価もいただいた。ものを知りながら、知らない人の立場にたって伝えるというのはなんと難しい事か。そういう事をできる人が、素晴しい教育者になれるのだろう。

歌劇・歌曲と日本語

いわゆるクラシック音楽作品で、歌詞のあるものの多くはイタリア語(歌劇に多い)、ドイツ語(歌曲に多い)、フランス語、ラテン語(宗教曲に多い)、ロシア語、あっても英語である。

宗教曲におけるラテン語の歌詞は、短いものも多く、ほとんどの音楽家にとって母語ではないから、日本語話者がラテン語をテクストにした曲を作っても不自然ではない。

しかし、歌曲・歌劇ともなると、テキストは長く、よりイントネーションやアクセントに影響されるため、その言語をよくよく知っていなければ、作曲は難しい。

かつて、モーツァルトも「後宮からの誘拐」までは、イタリア語の歌劇を書いていたわけだから、外国語の歌曲・歌劇というのも不可能ではないはずだ。しかし、ドイツ、フランス、ロシアがそれぞれ自国語での歌曲・歌劇を開拓していったように日本でも日本語による歌曲・歌劇が欲しいと思う。

日本語による歌曲・歌劇はもちろん存在する。特に、合唱曲にいたってはかなりの数の作品が作られている。しかし、私見ではそれらの作品は、
ヽ姐餮貪音楽にむりやり日本語を当てている
¬瑛悗琉用
セリフ的で音楽的でない
のいずれかにあてはまると思う(かなり乱暴だが)。

,魯ぅ織螢語オペラやドイツ語の歌曲を模した音楽に日本語をあてはめているものであり、訳詞を歌ってるようにしか思えない。それでいいならいいけど。
△呂茲あるパターン。民謡はその言語に適したつくりだから参考にするのは当然。国民楽派の人たちも民謡の収集を熱心にやっていた。しかし、単に民謡に当たり障りのない和声をあてるだけでは、外国人が聴いても稚拙で、所詮アンコールピース止まりだ。それを消化(昇華)して、自らの語法とできたのが国民楽派の人たちなのだろう。
9臂Ф覆紡燭ぁはっきりいって恥ずかしい。

私が唯一、日本語のテキストで手放し賞賛できる曲は、黛俊郎氏の「涅槃交響曲」だ(テキストは声明だから厳密には日本語ではないが、非ヨーロッパ・ロシア系言語という事で許してください。)。この曲では、声明を、かなり原型をとどめたままで使用しているが、うまく消化して、抹香臭さより、黛的世界観が勝っている。

「涅槃交響曲」や、国民楽派の手法を見るに、真に日本語の歌曲・歌劇を作るならば、やはり日本の伝統的な音楽を学ぶ事が重要であろう。仏教における声明・読経、雅楽の歌曲、俗楽の歌曲・浪曲、歌舞伎や狂言、能の節回しなど、素材は膨大にある。
こうした試みは、ともするとナショナリズムに捉えられてしまいがちだが、自分が小さな頃から受容している音楽を深く知る事は自然な事だろうし、なにより新しい音楽の可能性がみえているのだから、しなければ勿体ない、と思う。

追記(2007.3.28)

先日、パリ・オペラ座で歌舞伎が上演されたらしい。そのニュースを見ていたら、フランスの客が「歌や踊り、芝居が融合していて素晴らしかった」というようなことを言っていた。日本人の私からすると「歌?歌舞伎って歌ったっけ?」と思ったが、「節回し」というのは、外国から見たら歌以外のなんでもないのだろう。確かに、アリアほどではないが、レチタティーボよりは歌に近いと思う。
やはり、日本語の歌劇を作るなら、歌舞伎などを研究すべきだ、と感じた。


モーツァルト「ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための協奏曲」

モーツァルト作曲「ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための協奏曲」。よほどのモーツァルト好き以外はあまり認知度のなさそうな曲ですが、未完の曲で、数ヶ月前に新聞記事で見たところによれば、日本の作曲家・三枝成彰氏による補筆で演奏されたそうです。この補筆版はかなり三枝氏が個性を発揮してるらしく、「東洋的、日本的」らしいので、ちょっと聴く気にはなれませんが、ヴィオラ入りの協奏曲となればちょっと黙ってはいられません。

調べてみると、作品番号KV Anh. 104(320e)の「Sinfonia concertante in A für Violine, Viola, Violonecello und Orchester」というものらしい。NMAでは113小節目までが見られるが、モーツァルトの残したのはこれで全部ということだろうか。
譜面を見た限り、いかにもモーツァルトの協奏曲という感じ。明朗快活。でもソロの絡みはさすがに美しそう。しかも、チェロ付きの3パートともなれば、コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の体をなしてくるわけで、楽しそう・・・。

でもさすがに113小節では演奏するのは難しい(なんつっても展開部にも入っていない)し、補筆するにしても補筆者の創意が相当入るからモーツァルトの協奏曲らしく仕上げるのは結構難しいかも。もったいねえなあ。

※ところでNMA。ページ単位で固有のURL持ってくれんかね。そしたらもっと可能性広がるのに。

アマデウスにペルゴレージ

今日、研究室でiTunesのラジオ聞いてて知ったんだけど、映画「アマデウス」のサウンドトラックにペルゴレージの「スターバト・マーテル」の終曲が入ってるんですね。映画見た時はこの曲知らなかったから気づきませんでした。また、見てみましょう。

ペルゴレージはジェラール・レーヌ&イル・セミナリオ・ムジカーレによる「サルヴェ・レジナ」がきっかけで大好きになったんだけど、ほんとにいい曲書く人。シンプルなんだけど、すごくセンスがいい。わりとバロックはがちゃがちゃやってるのも多いけど、この人の曲はほんとに必要十分という感じ。24歳くらいで夭折しちゃったので、作品数がとにかく少ないのが悔やまれる。音楽の教科書的には「奥様女中」という短い歌劇がオペラ・ブッファのはしりとして紹介されてるけど、宗教曲のすばらしさにももっと触れてほしいところだ。

私のニガテな人。

私のニガテとする人について、今日後輩さんと喋ってて気づいた事があった。

私の苦手な人は「受動的な人」と「拒絶する人」だ。