思索の日々、音との生活。

大学図書館パートタイマー(2年目)の広くて浅い思索の日々、音との生活。

福祉=奉仕からの脱却。

無償の福祉。
ことばは美しい。現在この国では多くの福祉事業において、ボランティアが大きな役割を占めている。

しかし、国や地方自治体は建前上、ボランティアを必要としない福祉を提供しているはずだ。それが提供できていないから、ボランティアに頼っているわけである。ボランティアを美化することで、国や地方自治体から目を逸らさせ、奉仕活動をしない市民に責任を転嫁しているともみる事が出来る。

ボランティアに頼ることの問題は、ボランティアがアマチュアであることにある。
資格を得ている人などは職業として福祉に従事しているだろうから、多くのボランティアは専門的な知識・技術を持っていないと推測される(もちろん、そうでない人もいるだろうが)。当然プロに比べてサービスの質は低くなってしまう(意識の問題ではない)。
また、代価を伴わないサービスに対し、受け手は要求をしづらい。代価を払っていれば、サービスの送り手と受け手は同等であるが、代価が無ければ立場は自然、送り手が上になってしまう。この事がサービスの低下を招く可能性がある。

現在、この国の制度では、ボランティア抜きで福祉事業を行うことは不可能だろう。だが、ボランティア無しで充実した福祉を実現することが、福祉の受け手・送り手双方にとって幸せな事だと考える。将来の目標として、念頭におくべきではないだろうか。

「残り物で作ってみたの」が目標。

料理の話である。

私の料理の腕は下の中くらい。5回に1回くらいおいしいものが出来るくらいのへぼへぼちゃんである。
詳細なレシピと材料があれば、色々作れないこともない訳だが、食事ちうのは毎日のものなんで、常にレシピ通りに作るわけにもいかない。
そうなると、冷蔵庫にあるもので、なにか「適当に」おいしいものを作れるのが理想である。うちの母などはこれが得意で、ほいほいと創作料理を作ってしまう(しかも大抵おいしい)から尊敬してしまう。

とはいえ、いきなりそんなことが出来るわけもないので、やはり経験を積まねばなるまい。そこで、冷蔵庫に残っているものを入力して、レシピを検索できれば、実用性も高く、レパートリーを増やしたり、応用力を強化するのに役立つのではなかろうか。

で、探してみたら大量にレシピを掲載しているサイトはあるものの、どうも検索の仕方が、あまり実用的でない(ちなみに有料のサイトもいくつかあったが、詳しく見ていない)。

どうせならネットの威力を最大限生かして、多様な検索方法を実装し、レシピは有志が投稿するというのはどうだろうか。

例えば、冷蔵庫にあるものを入力し(保存できてもよい)、そこから考え得るレシピを出す。あるいは冷蔵庫にあるもの+材料1〜2で、とか、豚肉メインで中華!とか、ささみ使った冷たいの〜とか色々考えられる。

更に投稿方式だと、同じ料理でも投稿者の違いからレシピが複数掲載され、「○○家の肉じゃが」など、各家庭の味が全国で再現できる(笑)。「うちのが美味いわー!!」と投稿が増えてくるとしめたものだ(?)。

フェルドマンとペルト

現代音楽から2人の作曲家を紹介します。

1人目はモートン・フェルドマン(Morton Feldman)。
彼の楽曲の特徴は、極限まで切り詰められた音の、純粋な美しさにあります。彼の曲は非常に少ない音符で書かれていますが、そのかわり非常に正確なタイミングを要求する記譜になっています(どれだけ音が少なくても絶対初見で弾けない・・・)。
殆どの音がp〜ppp程度の非常に小さな音で弾かれ、また曲の長さは非常に長く、曲の展開といえるような変化はありません。
ただ、静かで、美しく響く音だけがあります。

2人目はアルヴォ・ペルト(Arvo Part)。
彼の楽曲は弦楽合奏をメインに使った静かな楽曲が多いです。また、弦楽合奏に鐘やハープ、クラベスとバスドラムを組み合わせたもの等の楽器を一つだけ組み合わせ、独特の響きを作り出します。
彼の曲は一種コラールに似た、落ち着いて響く和声に美しさがあります。やはりというべきか、宗教的な曲も書いているようです。
決して雄弁を振るわず、扇情せず、心にとけ込むような音楽です。

文字とは、かくも美しきものか。

京極夏彦作品の読者の多くは「陰摩羅鬼の瑕」以降、幾つかの作品で、使用された書体名がクレジットされている事をご存じだろう。

これらの書体は「字遊工房」という書体デザイン工房で作られている。是非、こちらのサイトを見て頂きたい。シンプルなデザインをベースにして描かれる、文字、文字、文字。けして奇をてらったデザインではない。明朝体、ゴシック体、教科書体。どこでも目にする書体ばかり。それらはただ、読みやすく、美しい。機能性を追求したデザインとはかくも美しいものなのか。

この工房では、書体の「見本帳」を作成している。こちらでサンプルを見ていただくとよくわかるが、これらを見るとその美しさと、制作者のこだわりが伺える。かつてこれほどまでに美しい書体見本があったであろうか。是非とも、手にしたいものである。

ところで、文字にこだわるといえばあるゲームを思い出す。アトラスの「真・女神転生III NOCTURNE」「デジタル・デビル・サーガ1、2」では、Fontworksという書体制作会社名がクレジットされている。他のゲームと比べてみればよくわかるが、これらのゲームの文字は読みやすく、そして、美しい。

いままで、あまり注目されることの無かった、標準的な書体たち。いつまでもMS明朝なんて使っていないで、こだわりの書体を使ってみたいものだ。

(※ちなみに、京極作品でクレジットされているのは「ヒラギノ明朝W3」「遊築五号W3」「ヒラギノ行書W4」。以上、ダ・ヴィンチ(2003年9月号)より)

憂慮すべきこと。

衆院選がかなりまずい事になってしまった。
自民・公明で衆院の3分の2以上の議席を獲得し、ついに「国民の多大な支持による」独裁政権が産声を上げてしまった。もはや立法において参議院は何の役割も持たず、与党の決定のみで立法する事が可能になってしまった。
この状況下では余程の事(つまり自民党内の分裂だが、イエスマンで構成され、反対したら党の公認はもらえないという恐怖が植え付けられたいま、分裂は起こりがたいだろう)がない限り、内閣不信任・衆議院解散はあり得ないだろうから、少なくともあと4年間は現在の状況は打破されない(あり得るとしたら内閣総理大臣の交代時が最も可能性が高いか)。

さて、今回の選挙で自民が大勝してしまった以上、憲法改定が現実味を帯びてきた。
恥ずかしながら、いままで自民の憲法改定案が如何なるものか全く知らなかったので、この機会に調べてみた。
今回読んだのは自民党・憲法改正プロジェクトチームの「論点整理(案)」。文量も少なく、箇条書きで読みやすい(もっとも「〜を見直すべきである」などとして曖昧な表現がえらく目立つが)ので、是非、目を通して頂きたい。

もう本当に手がつけられないほど酷い(胸悪くなってきます・・・)改定案なのだが、特に気になった点を一部挙げておきましょう。
(長文ですいません!)



「基本的人権の尊重」については行き過ぎた利己主義的風潮を戒める必要がある。(「前文」より)
「基本的人権」すらない国に私は住みたくありません。ところでこういうの、全体主義っていうんじゃなかったかね?

婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。(「国民の権利及び義務」より)
つまり婚姻・家族に関して、両性不平等にすべきと。無茶苦茶ですね。

あと、明確にはわからないのだが、
科学技術の進歩、少子化・高齢化の進展等の新たな状況に対応した、「新しい人権」(同)
って何でしょうね。流石に年齢や、生まれかた(クロ−ンなど)によって人権が変化するという事ではなかろうが・・・。

議事の定足数(現憲法56条1項)は、削除すべきである。(「国会及び内閣」より)
56条1項は「両議院は、各〃その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。」というもの。
つまりいつの間にか議事を開いて議決できるようにすべき、という事ですか?

総理大臣以下の国務大臣の国会への出席義務を緩和し、副大臣などの代理出席でよいとするなど憲法の規定を見直すべきである。(同)
明記されていないのだが、おそらく、63条「内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。」の事。
答弁、説明のために出席を求められても出席しなくていいと。話になりませんがな。

文民条項(現憲法66条2項)は、削除すべきである。(同)
66条2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」というもの。
まあ軍人だって国民なんだから、国務大臣になれる権利はあるべきだというのだろうが、手放しで賛成というわけにはちょっと・・・。

最高裁判所裁判官の国民審査の制度(現憲法79条)は廃止し、廃止後の適格性審査の制度についてはさらに検討を行うべきである。(「司法」より)
最高裁判所裁判官の国民審査廃止ですか。もう嫌だ・・・。

憲法の改正要件は、比較憲法的に見てもかなり厳格であり、これが、時代の趨勢にあった憲法改正を妨げる一因になっていると思われる。したがって、例えば、憲法改正の発議の要件である「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」を「各議院の総議員の過半数」とし、あるいは、各議院にいて総議員の3分の2以上の賛成が得られた場合には、国民投票を要しないものとする等の緩和策を講ずる(そのような憲法改正を行う)べきではないか。(「改正」より)
憲法ほいほい変えられる上に、国民投票させてもらえないんだってさ。もはや憲法無いに等しいね。



とまあ、戦前に退行するような内容ばかり。そもそもこんなもの憲法と呼べるのか・・・。
もしもこのまま憲法改定が衆・参両院で議決されて、国民投票
が行われる事になったら、絶対に否決すべきです。
今度また論点を一つに絞られても、絶対に惑わされないように。
下手したら生命に関わる事なのですから。

NHKへの提案

NHKの料金未払いが増えているらしい。
去年(だったか?)の不祥事の影響が大きいとされているが、そもそもおかしかったシステムが、不祥事をきっかけにして漸く再評価された、ということではないだろうか。

NHKは公共放送と呼ばれているが、税金で成り立っているわけではなく、視聴料を直接徴収している。テレビ所有率が低かった時代ならともかく、現在においてこの方式はあまりに非効率かつ非合理ではなかろうか。そもそも誰でも見られるように放送しておいて、料金を徴収するというのは詐欺に近い。そこで新しい形の公共放送を提案したい。

まず有料放送ならば、放送をエンコードして、登録者のみデコーダーを通して見られるようにすべきだ。民間の有料放送局は皆そうしている。ただし、公共放送としての責務を果たすために、最低限必要と思われる番組(たとえばニュース番組など)はスクランブル放送(エンコードしない放送)し、番組制作費は国や市町村から予算を得る。

この方法であれば、NHKの通常の放送が気に入った人はデコーダーを購入し、毎月使用料を払って視聴する。そのほかの人は税金を財源に作られたニュース番組などのみ視聴することができる。

ただこの方法だと、NHKが他の民営放送局との違いがほとんどなくなってしまう。それでいいという人もいるだろうが、多くの民営放送局が、高い視聴率を得られる、うけ狙いの番組ばかり製作している今、唯一文化的な放送を行っているNHKの番組までもが、採算性を理由に消えてしまうのは、個人的にも悲しいことだし、国民の文化レベルの低下を招いてしまう恐れがある。
もっとも、小規模な有料放送の多くは非常にマニアックな番組を放送している。NHKもそれに倣って、いままでのファン層を逃さないようにしつつ、より合理的な形に生まれ変わってほしいものだ。

短気は損気

最近(でもないか)ちょっとした事でイライラしてしまう。
そんな事しても何も生み出さないとわかっていても、抑えられない。
そうやって溜まったフラストレーションは、大抵近しい人に向けられてしまうのだから質が悪い・・・。
自分の感情くらいコントロールして欲しいものだ。我が理性よ。

因みに最近のストレス発散方法は、往年のFFシリーズの曲を、ドレミ楽譜出版のピアノ譜で弾く事。大体始めたら1時間くらいは弾いてると思う。曲は熟知してるし、平易なアレンジが多いので、もってこいなのですよ。

図書館−プライバシーを覗いてしまう瞬間

現在、図書館で実習中である。今日で3日め。
カウンター業務、寄贈図書の装備、雑誌・新聞の受入などなど・・・。
毎日内容が違うので、覚えるのは大変だけど、充実です。
職員さんはみんな親切だし。ここで働くのもよいなあと思います。

ところで、最近は個人情報について、どこもデリケートになっているが、図書館が扱う個人情報はかなりプライベートな部分が含まれているため、働いていても「怖いな」と思うことがある。
貸出や返却などさまざまな処理の際に、もちろん顔は見えるし、カードを読み込めば名前もわかる。住所や電話番号を見るのに制限はかかっているが、最もプライバシーに関わると思われる部分は、実は多くの人の目に付きうるところにある。返却・貸出される資料である。

返却・貸出される資料、特にまとめて何冊かを処理する場合、簡単に傾向をつかめる事が多い。趣味や学問に関わる資料、文学作品、実用書などで、ある程度、趣味嗜好や職業などが推測できてしまう。このあたりならまだマシなのだが、特定の病気や介護などに関する資料などになると、利用者のプライバシーを知りすぎてしまう気がして、少し動揺してしまう。とっさに平常心で対応してはいるのだが・・・なかなか精神的にハードな時がありますな。

でも、本に囲まれているのは楽しいし、図書館好きにはやりがいのある仕事。本気で就職考えてみようか。